関八州見晴台(役の行者経由)

      2018/07/26

関八州見晴台の基本情報

関八州見晴台の山頂からは、日本百名山の両神山をはじめ、武甲山、大持山、子持山などの秩父から名栗の山々を見渡せます。また南側は東京都内の高層ビル群をはじめ、東京の大岳山や御前山その奥に神奈川県の丹沢の山並みも見ることができます。

山名 関八州見晴台(かんはっしゅうみはらしだい)
標高 771.1m
場所 埼玉県飯能市
駐車場 黒山三滝無料駐車場(無料)、町営無料駐車場(無料)
備考

駐車場情報

黒山三滝無料駐車場

ここが登山口に一番近い町営の無料駐車場ですが、週末はすぐに満車になってしまいます。ちょっと到着が遅れた場合には、下の町営無料駐車場2へ戻りましょう。

位置 下の地図(グーグルマップ内)のPの場所になります。
料金 無料
駐車可能台数 約20台
最終確認日 2018年4月20日
備考

町営無料駐車場

ここも町営の無料駐車場です。駐車場地内は未舗装で区画線もないので端から並べて駐車していくようにしましょう。

位置 下の地図(グーグルマップ内)のPの場所になります。
料金 無料
駐車可能台数 約15台
最終確認日 2018年4月20日
備考



登山ルート情報

役の行者(大平山)経由ルート

出発地点 町営無料駐車場1
所要時間 3時間47分
登山ルート 町営無料駐車場1~黒山三滝~日照水~花立松峠~関八州見晴台~花立松峠~傘杉峠~役の行者(大平山)~町営無料駐車場1

トイレ、コンビニ情報

トイレ情報

  • 町営駐車場1の手前に男女別の観光トイレがあります。
  • 町営駐車場1から黒山三滝へ進むと男女共用の簡易トイレがあります。
  • 黒山三滝手前の土産物店の前に簡易トイレがあります。

コンビニ情報

駐車場の近くにはありません。八高線沿いを走っているうちに立ち寄っておきましょう。

登山記録

矢印。下の写真の解説です。ここが黒山三滝に一番近い駐車場です。平日なので朝8時前の駐車場はガラガラでした。また1月の朝は、駐車場にも陽が差し込まないので、恐ろしい寒さです。

矢印。下の写真の解説です。駐車場の手前に男女別の公衆トイレがあります。水洗ではありませんが、観光地なので適度に管理されています。

矢印。下の写真の解説です。駐車場から5分も歩くと天狗滝の看板が出て来ます。小さな橋を渡り遊歩道を登っていくと、一番奥に天狗滝があります。

矢印。下の写真の解説です。真冬なのに今年は水量が多く、滝入り口でも水の音が大きく響いていました。

矢印。下の写真の解説です。天狗滝は水の浸食のせいなのか割れ目の奥に隠れてしまい、上のほうしか見えなくなっています。登山ルートは遊歩道を戻ってもいいのですが、ちょっと戻った右側に階段があるのでそこを登り、屋根付きの休憩舎の先を右に下ると黒山三滝の手前の土産物店の横に出ます。

矢印。下の写真の解説です。みやげ物店を通り抜けた先が黒山三滝です。登山ルートは下の赤い橋を渡って傘杉峠へ出てもいいのですが、今回は

「黒山三滝」の看板の裏の階段を登り日照水経由で関八州見晴台を目指します。

黒山三滝

越生町黒山

越辺川源流域に、秩父中・古生層の断層に形成された上下二段の男滝(おだき)(落差十一、二m)と女滝(めだき)(落差四、五m)、下流の天狗滝(落差十三、六m)を総称して黒山三滝と呼ぶ。
黒山は古くから修験の霊場としての歴史がある。室町時代の応永五年(1398年)、栄円(えいえん)は山本坊を開き、熊野神社を本宮、男滝を那智社、天狗滝を新宮に見立て、関東の修験道の拠点とした。
江戸時代初期に西戸(さいど)村(現毛呂山町)に本拠を遷した後も「越生山本坊」と称し、京都聖護院を本山とする「本山派修験二十七先達」の一つとして百五十もの配下を治めていた。
天狗滝奥の大平山(おおひらさん)には山本坊栄円の墓、修験道の開祖である役行者(えんのぎょうじゃ)(役小角)(えんのおづぬ)の石像が祀られている。
幕末期には津久根村(現越生町大字津久根)出身で新吉原で成功を収めた新井宗秀こと尾張屋三平によって江戸市中に紹介され、明治になって鉱泉が発見されると県内有数の観光地として知られるようになった。
昭和二十五年には日本観光地百選、瀑布の部で第九位に選ばれている。
当地周辺は、シダ植物をはじめとする暖地性植物の宝庫として知られており、アオネカズラの北限の自生地として埼玉県指定天然記念物「黒山の特殊植物群落」に指定されている。

平成二十五年三月

越生町教育委員会

矢印。下の写真の解説です。黒山三滝の看板の裏の階段を登り、屋根付きの休憩舎を通り抜け、左の小さな階段を登り、さらに道が不明瞭な岩場を登ると、広めの登山道に出ます。そこを左へ進みすぐに右斜面の根っこが露出したところを登っていくと下の案内板のある車道に出ます。

この車道を左へ進み、日照水まで車道を歩きます。

矢印。下の写真の解説です。下が日照水という場所で水場になっています。水は登山道のずっと奥の水が湧き出しているところからホースでここまで水を引いているのでおいしい水です。

矢印。下の写真の解説です。24時間無料で利用できるので、車で大きなタンクをいくつも持ってきて自宅に持ち帰る人もいるようです。

林道から筑波山(茨城県)の眺めを楽しもう!

矢印。下の写真の解説です。日照水からは登山道でしばらくは森の中を歩きます。日照水から約25分でまた車道に出ますが、そこからは越生町の街並みだけでなく遠く筑波山まで見通せます。

矢印。下の写真の解説です。特に冬の晴れて空気が乾燥した日にはこのように真正面に筑波山が眺められます。関八州見晴台の山頂からは木が邪魔をして下の写真のようにすっきりと全景を見ることはできません。

筑波山の眺めはここで楽しみましょう。

矢印。下の写真の解説です。筑波山の眺めを楽しんだら、車道を左へ進みます。道が交差したところが花立松峠です。関八州見晴台へはここを大きく右へ曲がり、車道づたいに歩きます。

矢印。下の写真の解説です。車道を100mほど進むと右に登山口の案内板が出て来ます。車道を真っすぐに進んでも良いのですが、この道は下山時に通るので、右の登山道へ進むことにします。

関八州見晴台(山頂)からの展望は最高です!

矢印。下の写真の解説です。関八州見晴台の山頂へは花立松峠から20分ほどです。途中に急な登りがありますが、長くは続きません。山頂は高山不動尊の奥の院が建っていて、その右に屋根付きの休憩舎があります。そのほかベンチが3脚ほどあり、山頂の広さはそれなりにあります。

矢印。下の写真の解説です。山頂を示す看板は休憩舎の奥にあります。

矢印。下の写真の解説です。関八州見晴台の山頂からは、武甲山と奥に両神山が見えます。

矢印。下の写真の解説です。その左には富士山も眺めることができます。

矢印。下の写真の解説です。南東側には東京都内の高層ビル群にスカイツリーもくっきりと見ることができます。また肉眼ではなかなか判別しづらいのですが、双眼鏡を使えば東京湾も確認することができます。

矢印。下の写真の解説です。下山は高山不動尊方面へ下り、ぐるっと回って車道を歩いて花立松峠まで戻ります。まずは山頂から下ると車道にでます。奥に見えるガードレールの切れ目のところで再び登山道に入ります。

矢印。下の写真の解説です。ここがガードレールの切れ目です。ちゃんと案内板があるので「高山不動」の文字を確認して降りていきます。

矢印。下の写真の解説です。再び車道に出たら左へ道なりに歩くと花立松峠に戻ってきます。そこを「傘杉峠、顔振峠」方面に登山道(森の中)へ進みます。登山道を道なりに進むとまた車道に出るので、向かい側の登山道へ入っていきます。

矢印。下の写真の解説です。道なりに進むとさらにまた車道に出ます。そこが傘杉峠です。ここにはベンチが2脚ほどあるので休憩することができます。今回は、大平山(役の行者像)経由なので、右の登山道を登っていきます。

矢印。下の写真の解説です。傘杉峠から登山道を登って下ると下のような案内板が出て来ます。ここで案内板にしたがって「役の行者」方向へ進みます。この道は役の行者像のところまではしっかりと管理されていて道が明瞭なのですが、日当たりがあまりよくないためちょっと薄暗いところがあります。

矢印。下の写真の解説です。途中道が分岐する場所がありますが、今回はそのまま直進します。ちなみにこの案内板を右へ下っていくと渋沢平九郎自刃の地を経由して駐車場へ戻ることができますが、登山道はさらに薄暗くなります。

矢印。下の写真の解説です。登山道を直進すると次第に自然林が多くなってきて道は明るくなり、ちょっとした広場に到着します。ここが役の行者像がある場所です。

越生町の指定有形文化財、役行者像を大切にしよう

矢印。下の写真の解説です。広場には出来たての案内板があり、越生町の指定有形文化財に指定されていることがわかります。

矢印。下の写真の解説です。小山の高い場所には石像が鎮座しています。

矢印。下の写真の解説です。なかには鬼のような顔をした石像があったりしてちょっと薄気味悪い感じがします。

高祖役行者像由緒の記

山本坊円法印は室町時代の応永五年(1398)当地黒山に熊野権現を勧請し、一帯を関東の熊野修験霊場として整備した。江戸時代には西戸村(現毛呂山町)に本拠を遷し、以降も越生山本坊を称し、本山派聖護院二十八先達の一つに数えられる大先達として、関東一円の修験に勢力を及ぼした。此処大平山に鎮座する高祖役行者の尊像は、元治二年(1865)の建立である。経緯は詳らかではないが、険阻な山路を黒山の村人が総出で運び上げたと伝えられている。明治維新の神仏分離により修験山本坊は幕を閉じたが、尊像への崇敬は途絶えることなく、明治、大正、昭和の星霜を送った。平成九年九月十二日、法縁あって、京都の本山修験宗総本山聖護院門跡第五十一世門主・加来徳泉師一行が登拝されるところとなった。これを機に、地元信者は越生聖護院門跡講を組織し、山本坊以来の法灯を受け継ぐこととなった。平成十八年の暮、尊像は何者かによって倒され、尊顔が失われるという災難にみまわれた。聖護院の指導協力のもと講員一丸となって直ちに再建に着手した。多くの浄財と労力奉仕を得て事業は順調に進み、平成十九年九月十二日、本山第五十二世門主・宮城泰年師のもと四十名の山伏を以って、採燈大護摩供が挙行され修復は完了を見た。ここに建碑して由来を後世に伝え、地域の安泰と修験興隆を祈念せんとするものである。

平成二十年九月十二日
越生聖護院門跡講篤信の一同

矢印。下の写真の解説です。役の行者像からの下山道は、多少道が不明瞭なところがあったり、急な下り傾斜そしてローブ場があるので注意してください。特に下の写真のロープ場は大きな一枚岩で足を引っかけるところが少なく滑りやすいので慎重に降りましょう。

矢印。下の写真の解説です。ここが傘杉峠からの下山道との合流点です。左へ登っていくと傘杉峠で右へ下ると黒山三滝です。

矢印。下の写真の解説です。黒山三滝までもうすぐというところで道が左右に分岐しています。天狗滝という場所で、朝一番に見た天狗滝の一番上の場所です。左のちょっと細い道を進むと黒山三滝へ行き、右へ進むとみやげ物店の横に出る道です。

矢印。下の写真の解説です。案内板に「天狗滝」と書いてあります。この向かい側をちょっと降りると天狗滝のてっぺんが見えます。

矢印。下の写真の解説です。ここが天狗滝の上部です。一番下の薄茶色の道が駐車場から黒山三滝への道で、右へ進むと駐車場です。

その他の観光案内解説板

渋沢平九郎について

渋沢平九郎

飯能戦争は、慶応4年(1868年)、彰義隊から別れた振武軍と追撃してきた討幕軍(官軍)との間に発生した維新戦乱の一つである。
優勢な官軍の攻撃の前に飯能市能仁寺の本営は落ち、振武軍は奥武蔵山中に敗走した。副将として参加していた渋沢栄一の養子である渋沢平九郎は、顔振峠を経て黒山へ逃れてきたが、待ちかまえていた官軍に包囲され、22才の若さで自刃した。
ここに平九郎グミと呼ばれるグミの木があり、平九郎の血を宿しているという。

環境省・埼玉県

黒山三滝の植物について

黒山三滝の植物

黒山三滝の周辺から鉱泉にかけては、谷が狭く、湿度が高いため暖地性のシダ類の群落が見られる。
オオイタビカズラ、コモチシダ、ウラジロ、イワヤナギシダ、ヘラシダ、シシラン、アオネカズラ等で、県の天然記念物に指定されている。
特にアオネカズラはここが分布の北限である。

環境庁・埼玉県

関東ふれあいのみちについて

関東ふれあいの道

義経伝説と滝のあるみち

このコースの中心顔振(かあぶり)峠は、奥武蔵から富士山に至る山波の展望にすぐれ、奥州へ逃れる源義経が景色の良さに顔をふりふり登ったという伝説があるほどです。
ここ黒山には、渋沢平九郎自刃の地や、山岳仏教の修験道場として栄えた黒山三滝があります。
伝説と歴史にいろどられた前兆8.0kmの一般向きコースです。

吾野~(3.6km)~顔振峠~(1.8km)~傘杉峠~(1.6km)~黒山三滝~(1.0km)~黒山バス停

まとめ

山頂での休憩時間を含めても4時間かからないルートなので体力に自信がない方でも十分に走破できるでしょう。ただ、役の行者像からの下りはちょっと注意と慎重さが必要です。黒山三滝から日照水を経由するのは上の車道からの筑波山の展望を楽しみたいからです。

前述のとおり、関八州見晴台の山頂からは筑波山はスッキリとは見ることができません。黒山三滝から傘杉峠のルートのほうが一般的なのかも知れませんが、私はこちらのルートのほうが好きです。

ただ、初夏から初秋にかけては筑波山の眺めのいい車道手前の登山道が藪が鬱蒼としてしまうのでお勧めできません。

このルートは晩秋から早春までの寒い時期がベストシーズンです。また歩き足りないという方は、高山不動尊まで下ったり、顔振峠まで足をのばせは4~5時間のコースにすることができます。

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