天覧山~多峯主山~龍崖山 2/4

      2018/06/19

天覧山を後にして多峯主山(とうのすやま)へ

矢印。下の写真の解説です。天覧山の山頂から長い階段を下っていると左の木々の間から小さなピークが見えてきます。ここがこれから向う多峯主山(とうのすやま)の山頂です。

矢印。下の写真の解説です。多峯主山(とうのすやま)の山頂は、東と西が樹木があって見通しはよくないのですが、南と北はすっきりとしていて遠くまで見通せます。またよく日が差し込む山頂で、特に天覧山の山頂からは見えなかった北側、群馬の山並みを楽しめます。

矢印。下の写真の解説です。天覧山の山頂からまっすぐ階段を降りると平らな場所に出ます。ここを右に進むと多峯主山ですがしばらくは平らでよく整備された遊歩道的な道をのんびりと歩きます。

矢印。下の写真の解説です。4月上旬だったので山桜も咲いていました。日本の古き良き時代の里山の風景が守られている場所です。天覧山から多峯主山一帯は、この美しい景観をずっと後世まで残していくために「飯能市景観緑地指定地」になっており、開発等は制限されているようです。

矢印。下の写真の解説です。整備された歩道を道なりに歩いていると道が左へ曲がる場所へ到着しますが、ここにも案内板が設置されています。内容は源義経の母、常盤御前がこの坂を登った時、あまりの風景の良さに何度も振り返ったため見返り坂と呼ばれるようになったと書かれていました。

見返り坂と飯能笹(県指定天然記念物)

見返り坂は、源義経の母、常盤御前がこの山に登ったとき、あまりの風景のよさに後を振り返り、振り返り登ったことによりこの名がついたといわれている。この見返り坂の麓に植物学者、故牧野富太郎博士により発見され、命名された飯能笹の植生がある。

この笹は、アズマザサの仲間で根茎は横に走り、茎はこげ茶色をしてまっすぐ立ち、高さは百五十センチメートル前後、直径0.6センチメートルほどになる。茎の上部で枝が分かれ、枝の端には手のひらをひろげたように数枚の葉が集まってついている。葉は細長く、長さ十三~二十センチメートル、幅二センチメートル内外で先はとがっている。

質は薄い洋紙質で表面は毛がなく、裏面にはビロード状の細毛がある。中央の脈は細長く裏面に隆起しており、この両側に五~八本の脈をもっていて、冬期に葉のふちは白色となる。一見普通の笹のようにみえるが、幹の色、枝の出方などに特色がある。繁殖力はさほどなく、古くからこの地にのみ限られて生えている。

昭和五十五年三月

埼玉県

矢印。上の写真の解説です。ちょっと長めの階段を頑張って登ります。

矢印。上の写真の解説です。階段を登り切ると傾斜は緩やかになり、道が合流したり分岐したりしますが、このように案内板がしっかりと設置されているので迷うことはありません。今回はまず多峯主山へ登り、下りながらいろいろな場所を散策しようと思っています。

矢印。上の写真の解説です。そのため案内板に従って山頂を目指します。するとすぐに石段が出てきてずっと山頂まで続きます。

多峯主山(とうのすやま)の山頂に到着!

天覧山から30分ちょっとで多峯主山(とうのすやま)の山頂に到着します。山頂は左右(東西)に木がありますが、明るく開けています。山頂には平らな場所はなく、山頂の看板のあるところが一番高い場所になっていて、ここに石に経文を書いて埋められたとされる経塚もあります。

矢印。下の写真の解説です。一段下がったところにはテーブルベンチが2セット置かれています。ここからは南側の山並みを一望することができ、特に冬には遠く富士山までもがくっきりと眺めることができます。

矢印。下の写真の解説です。山頂の北側も今は樹木が伐採され、群馬県方面の山々を見通せるようになり、一段と魅力的な山になりました。

矢印。下の写真の解説です。多峯主山の山頂にも観光案内板があり、この山や経塚についてわかりやすく解説されています。

多峯主山と経塚

多峯主山は天覧山の北西にあり、海抜二七一メートルの山で山頂に三等三角点がある。文字とおりこのあたりの山ではひときわ高く、登り口には、県指定天然記念物の飯能笹が自生しており、また常盤御前にまつわる「見返り坂」や「よし竹」の伝説がある。

「よし竹」は、常盤御前がこの山に登りながら「源氏再び栄えるならこの杖よし竹となれ」といって持っていた竹杖を地に立てたところ、それが根づいて一面の竹林となったといわれ、今日でもわずかながら、よし竹と呼ばれる竹の植生がある。

「常盤が丘」には、常盤御前の墓があったといわれ、宝篋印塔がある。その近くに「常盤平」と呼ばれている眺めのよい場所がある。中腹には、いまだ一度も水のかれたことのないといわれている「雨乞池」、頂上近くには、郷土の武将、上州沼田城主の黒田直邦の墓がある。

山頂にある経塚は、石に経文を書いて土の中に埋めた塚で、岩石を釜底形に掘った穴に約一万二千個の河原石が埋蔵されており、明和二年(1765年)の年号が刻まれた経塚供養塔が建っている。

昭和五十五年三月

埼玉県

矢印。上の写真の解説です。10年ほど前に来た時にはこのベンチの前にも高く成長した木々があり、殆ど見通しがきかなかったのですが、今ではすべて伐採され奥多摩の大岳山御前山なども眺めることができるようになりました。

矢印。上の写真の解説です。山頂案内板のすぐ横には三等三角点があります。山頂は樹木が伐採されると見晴らしが良くなっていいのですが、風雨に直接さらされる山頂はどんどん風化が進み、三角点のまわりの土もえぐられてきてしまうようです。

黒田直邦の墓、常盤平、雨乞池等の周辺の見どころを散策しよう!

矢印。上の写真の解説です。多峯主山は、山頂からの展望だけでなく周辺には見て回るものがたくさんあります。まずは黒田直邦のお墓に立ち寄ってそれから常盤平、宝篋印塔、雨乞池そして御嶽八幡神社の順に進むと一番効率的でしょう。

矢印。上の写真の解説です。山頂から案内板に従って登山道を下るとこのように大きな石のまわりを頑丈な石柱で囲んである場所にでます。調べてみると黒田直邦の亡骸は、この大きな石の下に埋葬されているそうです。

矢印。上の写真の解説です。その大きな石の真下には、立派な墓石が建っています。多峯主山の山頂の経塚といい、このお墓といい、きれいな花が供えられています。おそらく麓の能仁寺が黒田家の菩提寺なので定期的に花を供えているのでしょう。

黒田直邦侯墓

昭和33年4月15日指定

この墓は、江戸時代に飯能地方を領していた黒田氏の祖、直邦侯を葬るものである。侯は丹党武人中山氏の出であるが、外祖父黒田直相に養われてその姓を名乗り、黒田を称した。墓銘に「丹治直人」と丹党の姓が記されている。

侯は若い頃、五代将軍綱吉に出仕して30人扶持を拝した。これが官に仕えた始めで、以後八代将軍吉宗に至るまで、実に四代50余年も歴任し、信任厚く、進級に進級を重ねて、ついに侍従となり老職となり、いでては上州沼田城主3万余石の大名となった。

侯が飯能地方を領したのは宝永4年(1707)以降である。そして享保20年(1735)70才でなくなったが、世嗣直純は、祖先ゆかりの地飯能に墓所を求め霊場多峯主を選んで墾ろに葬り、永く一族領内の鎮めとしたものである。

なお黒田氏は2代直純のとき、上総久留里城主に転じ、飯能地方の領主に変わりなく明治維新に及んだ。黒田氏歴世の墓は能仁寺墓地にある。

昭和50年7月

飯能市教育委員会

矢印。上の写真の解説です。黒田直邦侯の墓から道なりに右に進むときれいなバイオ式トイレがあります。

矢印。上の写真の解説です。バイオ式トイレを通り過ぎて進むと案内板が出て来ます。左へ進むと常盤平で直進すると御嶽八幡神社とあります。まずは常盤平へ行ってみるので左へ進むことにします。すると山桜が咲いている場所が見えてきました。

よく見るとテーブルベンチも見えます。

矢印。上の写真の解説です。平らな場所に「常盤平」と書かれたポールが建っていて、テーブルベンチが2脚設置されていました。ここからも南側が見通せるようになっていますが、標高が低いのでそれなりの展望です。

矢印。上の写真の解説です。ここも10年前に来たときは南側に木が茂っていて薄暗い場所だったのですが、きれいに整備されて明るく気持ちの良い場所になっていました。

矢印。上の写真の解説です。常盤平の先に常盤御前のお墓があったとされる場所があるのですが、今は写真の宝篋印塔しか残されていないようです。

矢印。上の写真の解説です。常盤平に戻りそこから下に下ると雨乞池があります。ここは山頂付近にあるにもかかわらず池の水が枯れたことがないという不思議な池だそうです。

矢印。上の写真の解説です。ここも以前はもっと木が密集して生えていて写真が撮れないくらい薄暗かったのですが、池の周りの木がかなり伐採されたようで陽が差し込み明るくなっていました。

雨乞(あまごい)池

この池を雨乞池または雨乞渕という。こんな山頂にありながら、かって水の枯れたことのない池である。古くは、この上手に高?(たかおかみ)、闇?(くらおかみ)(雨をつかさどる神として古来祈雨(きう)・止雨の神)がまつってあって、近郷の人たちの信仰が厚かった。

田畑の作物が枯れるような旱天(かんてん)が続くと、ここに集まって、神に雨を乞い、池のまわりでにぎやかなお祭りをしたという。「この水を濁すと雨が降る」といい、また、鼻をつまみ息を止めて七廻りすると、池の中に異変がおかるといったような伝説もある。

昭和55年3月

埼玉県

御嶽八幡神社からの見晴しも素晴らしい!

矢印。上の写真の解説です。雨乞池からはまたバイオ式トイレのところまで登り返し、そこから御嶽八幡神社へ向かいます。すると森から抜け見晴らしの良い場所に出ます。ここが御嶽八幡神社です。

矢印。上の写真の解説です。この御嶽八幡神社は、南から西側が特に開けていてとても見晴らしが良い場所に建っています。ここにも埼玉県が設置した観光案内板があります。

御嶽八幡(おんたけはちまん)神社

御嶽八幡神社は通称「おんたけさん」といい、誉田別命、大己貴命、少彦名命が祀られている。創立年代は不詳である。多峯主山の前面にあって、一大岸壁の突き立つ所を前岩と呼んでいるが、ここに古くから小社が鎮座し、多峯主山一面の守りをなしていた。

江戸時代の末期に与平という人が、かねてから琴平宮を屋敷内に祀り、ひそかに信仰していた。当時この山一帯は、黒田氏の領地で飯能村寄合名主の大河原氏が領主の委任を受けて管理していた。与平は大河原氏の依頼によって曽根刈りなど山仕事に当たっていたが、ある日、前岩付近で昼寝をして目がさめてみるといつの間にか山麓にころげおちていた。

不思議に思った与平は、この山に琴平宮を祀ることを決心し、百余段の階段を築き、一族とともに参拝したといわれている。明治の初め、御嶽教がさかんになり、丸田開元という人が中心となって名主大河原又右衛門とはかり、信州の御嶽神社の分霊を安置し、同時に講をおこした。

その後明治四十年、武人八幡を合祀し、御嶽神社を改めて御嶽八幡神社と改称した。産土神として信仰が厚い。

昭和五十五年三月

埼玉県

矢印。上の写真の解説です。御嶽八幡神社から南側を見ると最後の目的地である龍崖山が正面に見えることがわかりました。この龍崖山の山頂は一見すると樹木に覆われて展望がなさそうに見えるのですが、かなり樹木が間引かれているためほぼ360度見渡せるほど長めの良い山です。

(→天覧山~多峯主山~龍崖山 3へ

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