燧山と龍崖山で360度の展望を楽しもう!
配水場広場から龍崖山公園へ
配水場広場のところで車道に出たら右に道なりに約200m進みます。すると大きな十字路に出るのでそこを真っすぐ通り過ぎ、100mほど歩いた最初の道を左へ曲がり、100mほど歩くと右側が龍崖山公園です。
真っすぐに進んだ突き当りが公園の無料駐車場で20台ほど駐車可能です。
これが龍崖山公園の正面入り口です。奥には男女別の公衆トイレがあります。龍崖山は、斜面に作られた公園で一番下まで降りると登り返すが大変です。それでも燧山と龍崖山の展望の素晴らしさに惹かれて多くの人が訪れるようです。
龍崖山公園の駐車場はもともとは6台ほどしか駐車できない狭い駐車場だったようです。そのため多くの車が公園のまわりの住宅地内の道路に駐車して問題になったのでしょう。
最近、6台ほどしか駐車できなかった駐車場のの奥を急遽拡張し、合計20台ほど止まれるようにしたようです。そのため奥の駐車スペースはまだ未舗装の状態です。
龍崖山公園内の階段には、龍崖山の登山口の案内板がたくさん設置されており、迷わず登山口まで案内してくれます。
龍崖山登山口から燧山へ
龍崖山公園の階段を一番下まで下ったところの左側に登山口があります。ここからは低山ながら、アップダウンがあります。
登山口には案内板があります。公園内の登山口から龍崖山まで1.2kmです。
燧山(ひうちやま)山頂
公園内の登山口から道なりに歩くと正面が開けた場所に出ます。ここが燧山展望台です。
標高は234mと低いのですが、工業団地内には背の高い建物がないため、東から西にかけては遮るものなく見渡せます。
燧山展望台にはベンチが3脚置かれていて、座って真正面の素晴らしい見晴らしを楽しめます。この近所に住んでいる方は、本当に幸せだと思います。それくらいすばらしい眺めです。
展望ベンチの斜め後ろには燧山の山頂を示す私製の案内板が岩の上に置かれています。
何もないと歩いていても通り過ぎてしまうのですが、こうした案内板があると登った山を確認できるので本当に助かります。地元の方がたに感謝です。
燧山展望台の正面に見える山は、左から富士山、大岳山、御岳山そして御前山です。天気の良い日にはつい登ってみたくなるような眺めです。
右を見ると朝一番に登った柏木山が見えます。こうしてみると柏木山も低山でありながら、独立した山であることがわかります。
龍崖山手前の見晴し台テラス
さて、燧山展望台で南側の眺めを楽しんだら、龍崖山手前の見晴し台テラスを目指しましょう。この場所は燧山展望台の眺めとほぼ一緒なのですが、さらに左右が開けた感じで明るく気分爽快になる場所です。
また地元の方がこの場所に桜の木を植樹しているので数年後には桜の名所になるかも知れません。
見晴し台テラスにはこのような額縁が設置されていて借景を楽しむことができます。
これが見晴台テラス全景で、正面の広い土地はまだ工場が誘致されておらず空き地になっていますが、もし建物が建ってしまったら、これらの景色はすべて失われてしまいような気がします。
これらの眺めを楽しめるのも今のうちだけかもしれません。
龍崖山の山頂は広くてランチにぴったりの場所
さて、ここが最後の目的地、龍崖山の山頂です。山頂は多少の樹木があり、空がスカッと抜けているわけではありませんが、木の間から十分に展望を楽しめます。
また山頂のスペースは柏木山や燧山と比べてもずっと広くベンチもたくさん置かれているのでゆっくり座ってランチを楽しむこともできます。
山頂を示す看板は、山頂中央に生えている木にくくりつけられています。標高は246mです。
龍崖山の山頂からは秩父の武甲山をはじめ大持山、子持山、武川岳などを見渡すことができます。
その右側は越生の関八州見晴台や越上山、顔振峠方面もさえぎるものなく眺めることができます。越上山の手前にあるのは日高市横手の新興住宅街です。
さらに右には多峯山(とうのすやま)の山頂がよく見えます。今回の周回コースはゆっくり歩いても3時間ちょっとなので歩き足りたいという方は、天覧山から多峯山を登りドレミファ橋を渡って柏木山へ登る大きな周回コースも良いかも知れません。
そのコースだと恐らく5~6時間の周回コースになるのではないでしょうか。
龍崖山は昔は山城だった!?
大河原城
この城は龍崖山の頂上を主郭とするもので、その広さは長24m、幅15mほどの広さがあります。主郭の南には、南(龍崖山公園方向)に伸びる尾根を切る形で、深さ6m、下幅2mの大規模な堀切が見られます。
軍茶利(ぐんだり)神社からの登り口の途中に15m×20mほどの広さの平場が造成されており、これらのことからこの城は北が正面であることがわかります。
実際に主郭からは北から東にかけての眺望が開け、眼下の名栗と飯能を結び道をのぞむことができます。
龍崖山を愛する80人衆
龍崖山の碑
龍崖山の山頂には立派な石碑が建っています。そこに書かれている文章を読んでみると、この山がこの地域に住んでいた人たちが個人所有の山林や田畑を皆で寄付することによって後世に残されることになったという歴史がわかります。
山頂からの素晴らしい展望を今、ただで楽しめるのもこうした人たちの愛と奉仕の精神のおかげなんですね。感謝です。
龍崖山の碑
当地は、その昔徳川の直系一つ橋家の領地として栄え、明治維新の改革により私達の祖先五十有余戸にて此の地より西南方面に位する山林約二十ヘクタールを共有地として譲受し以来一世紀弱此の間或時は、生活の支となり良き伴侶として今日に至った。
私達先代及び現代の人々がそれぞれの中で身を処し愛着のもとに精魂を傾けて守り通して来た此の地も急激に進展する時代の流れの中で土地開発郷土発展の為不断の協力のもとに個人所有林及び田畑共合わせて四十五ヘクタールを解放譲渡し私達の将来の幸福と栄伸並びに此の地の高度利用を祈念し残された唯一の山の嶺に私達はいつまでも此の美しき山城龍崖山を愛守すると共に世代の移り変わりをしのんでここに碑を建立す。
昭和四十九年三月吉祥日 共有者一同誌す
尊くも遠き祖先の護り来し
龍崖山にて別れ惜しみて
下山は「金蔵寺」方面へ
さて、龍崖山の山頂で三座同定を楽しんだら下山することにしましょう。私の下山ルートは八耳堂なのですが、山頂の案内板にはありません。同じ方向の「金蔵寺」方面へ下ります。
少し下るとすぐに分岐に出ます。ここに「八耳堂」の文字が出て来ます。まっすぐに下山します。
しばらく階段を下りていくと平らな場所に出ます。ここは「三四郎平」と呼ばれる場所のようで、ここでも道が左右に分岐しています。
ここにも「龍崖山を愛する80人衆」の設置した案内板があります。これらの案内板が無ければ本当に何もわからないので助かります。
私の目指す八耳堂は左と書かれています。案内板に従って左の道を進みます。
すぐに鳥居と建物が見えてきてさらに進むと八耳堂に出ます。小さいながらも歴史ある建物の風格があります。
八耳堂の前には宝篋印塔や石仏があり、これらは飯能市の有形文化財に指定されているようです。
飯能市有形文化財指定
八耳堂宝篋印塔及び銅板経ほか塔内納入品
平成七年九月宝篋印塔の解体修理のとき、塔身部に銅板経、舎利種子墨書等が納入されていたのが発見された。
銅板経は、漆書きされ、こうした一括納入品は全国的にも類例が少なく、当時の信仰形態を知るうえで貴重である。なお、本納入品類は、飯能市郷土館に保管されています。
平成十年 卯月
金蔵寺檀家
八耳堂と軍茶利神社
八耳堂の向かいには観光解説板が設置されていて、この地方の信仰の歴史などについての解説が書かれています。
八耳堂と軍荼利神社
八耳堂は、真言宗の寺、金輛無量院金蔵寺の仏堂で、太子堂とも呼ばれている。本尊は、聖徳太子(厩戸皇子)を祀り、保元年間(1156~1158年)に建立されたといわれているが、現在の建物は、文政三年三月(1802年)に再建したものである。
この奥手に軍荼利神社があり、鎌倉時代の建仁二年(1202年)飯能地方の武士、大河原史郎が創建したと伝えている。大河原氏は、この地方の殿屋敷と呼ばれる場所に居住し、当社の南方に位置する龍崖山に砦を造って非常に備えると共に、金蔵寺とこの神社を厚く信仰したという。
神社は、天和二年(1682年)火災にあったが、のちに再建された。
昭和五十五年三月
埼玉県
八耳堂から駐車場までは車道歩き
八耳堂の境内を通り抜けると舗装道路に出ます。そこを左へ曲がり700mほど歩くと道が直進と左折に分岐します。ここを左に曲がり坂道を200mほど登っていくと駐車場に戻ります。
まとめ
積雪期登山をしない方は、冬から早春にかけては登る山が限定されて困っている方も多いのではないでしょうか。そんな中でおすすめするのがこの低山を周回するルートです。
飯能市内にある柏木山と龍崖山はどちらも標高が300m前後と真冬でも安心して登ることができます。
また山頂からの展望も素晴らしく、空気の乾燥した冬には遠く群馬県の山並みなどもくっきりと見通せる日が多いのも魅力の一つです。周回ルート上には無料の駐車スペースが3ケ所もあり、どこに車を駐車しても、どっち廻りでも楽しめます。
低山なので夏の暑い日はおすすめできませんが、早春、晩秋そして冬にはぜひ歩いてみてほしい山です。