勝峰山の基本情報
標高は低い山ですが、日の出町の街並みや東京方面の見晴しは素晴らしいものがあります。
またこの山を起点にして麻生山や日の出山まで歩くことも可能です。
山名 | 勝峰山(かつぼやま) |
標高 | 454m |
場所 | 東京都西多摩郡日の出町 |
駐車場 | 勝峰山林道駐車スペース(無料) |
備考 |
駐車場情報
勝峰山(かつぼやま)林道駐車スペース
新たに林道が整備され、その入り口付近にこのような広い駐車スペースが出来ているので、ここで駐車してから林道を歩き始めます。
位置 | 下の地図(グーグルマップ内)のPの場所になります。 |
料金 | 無料 |
駐車可能台数 | 約10台 |
最終確認日 | 2018年1月16日 |
備考 |
登山ルート情報
勝峰山林道駐車スペース~勝峰山(往復)
出発地点 | 勝峰山林道駐車スペース |
所要時間 | 1時間11分 |
登山ルート | 林道入口駐車スペース~勝峰山(往復) |
トイレ、コンビニ情報
トイレ情報
駐車スペース及び登山ルート上にはありません。
コンビニ情報
駐車スペース付近にはありません。
立ち寄り湯
つるつる温泉
日の出町にある町営の温泉で、地下1500mから汲み上げている天然温泉です。PH(ペーハー)は、9.9で無色透明無味無臭のアルカリ単純温泉ですので、誰でも楽しめます。
◇ 公式サイトはこちら → こちら
勝峰山の登山記録
山行日 | 2018年1月16日(火) |
山行形態 | 単独 |
天候 | 晴れ |
太平洋セメント(株)と太平洋プレコン工業(株)の従業員用駐車場の手前をフェンス沿いに通り抜けた先にある駐車スペースは、専用に用意された駐車場ではなく、雑草が生えていますが駐車は可能です。
駐車スペースの奥が林道の入口ですが、パット見ると立ち入り禁止に見えますが、車での通行も可能と書かれています。左の「関係者以外」と青い文字で書かれている下には、一般の人も車で通行してもいいですが、全部自己責任でと書かれていいます。
「関係者以外」の下はこのような注意書きです。私は下の駐車スペースに車を止めて林道をひたすら歩いて登ることにしました。
林道の入口にはこんな手製の看板も設置されていました。
林道は、このように広く明るく日当たりの良い場所も多いので冬でも気持ちよく歩けます。
平日だったので工場が稼働しており、始めのうちは騒音が気になります。
駐車スペースから25分ほど歩くとちょっとした広場があり、見晴らしがよいところがあります。ここが車であがってきた場合の駐車スペースです。
横には手製のテーブルベンチが置かれていて座って休憩することができます。
見晴らしは日の出町方面がよく見えます。
広く整備された林道はここが行き止まりで、車で来た場合はここに車を止めて歩くことになります。
行き止まりのところには赤茶色の案内板が設置されています。左が「勝峰山、日の出山」右が「岩井橋」と書かれています。
赤茶色の案内板に従って左へ進むとすぐに広場があり、そこにも手製のテーブルとベンチがあります。ここは樹木がきれいに伐採されているので明るく広々として気持ちの良い場所になっています。
勝峰山までの登山道もこのようにきれいに整備されてとても歩きやすくなっています。
整備された登山道に沿って5分も歩くと第一展望台に到着します。ここにもベンチがいくつも置かれているので座って眺めを楽しむことができます。
ここは見晴らしはいいのですが、空は樹木に覆われて日差しはあまり入ってきません。暑い季節には日影になって過ごしやすそうです。
展望は、さらに高さが増したためか遠くまで見通せるようになっています。下の山に挟まれた建物群が太平洋セメント(株)の工場です。
勝峰山の山頂は森の中です
第一展望台から5分もかからずに勝峰山の山頂に到着します。山頂は細長く一番奥に山頂三角点と山頂名が書かれたポールがあります。
山頂三角点の横のあまり目立たない場所に、勝峰山(454m)と書かれたポールがあります。
これが勝峰山の山頂にある三等三角点です。
石でてきた三角点の横には、こんなものがありました。あまり見かけないのですが、あると便利です。
山頂の奥には、日の出山まで通じているのでしょうか、手製の案内板があります。今回は勝峰山が目的地でしたが、次回は麻生山あたりまで行ってみたいと思っています。
山頂の一番奥から見るとこんな感じです。ベンチがあり、一番奥には観光解説板があります。またその奥には鎧塚なるものがありましたが、それに関する詳しい解説はありませんでした。
山頂から来た道を真っすぐに下ると第二展望台があります。こhしらにもベンチが設置され、座って見晴らしを楽しめるようになっています。日当たりはご覧の通りであまりよくはありません。
右側に観光解説板があります。
第二展望台からの見晴らしは、第一展望台からのとは違い、日の出町の山並みが中心になります。
展望台から左を見た景色がこれです。日の出山方面までは見通せません。
まとめ
下の駐車スペースから勝峰山の山頂までは、歩いて38分でした。下山に要した時間は、30分足らずで休憩を入れても往復1時間11分と短い登山になりました。
やはりこの山だけでは全然歩き足りないというのが現状で、事実私も麻生山~日の出山を登ったついでに立ち寄ったのです。
それでも地図に載っていると、登山道のある山であれば一度は登ってみたくなるものです。低山ながら、地元の登山愛好家の方たちがしっかりと登山道を管理してくれています。安心して登ってみてください。
勝峰山にあった観光解説案内板
勝峰山山頂の解説案内板
21世紀の桜の森・勝峰山・歴史と伝説の森
将門の伝説
平将門の伝説は、関東地方の各地にたくさん伝わっている。将門は今から1000年以上も前の人物で、一族の仲違(なかたが)いから戦いになり、おじの国香(くにか)を殺してしまう。これがきっかけとなって、将門はついに関東全域を制圧したのである。
将門は相馬小次郎(そうまこじろう)といい、自分を新皇と称した。三八才のとき、下総国(茨城県)猿島(さしま)郡北山で、藤原秀郷(ひでさと)(俗称、俵藤太(たわらとうた))・平貞盛の連合軍によって、敗死させられているが、その活動範囲が広かったので、大久野から奥多摩の山岳地帯にも数多くの伝説が残されている。これは将門の一族郎党(ろうとう)が多摩の奥地へ逃げこんだり、秀郷の追求がきびしかったことも影響しているのであろう。
さて、将門の軍が相模原方面から、藤原秀郷の軍に追われて北上し、大久野の勝峰山(かつほやま)に一夜城を築いて籠ったのは、暮れも押しつまった十二月の半ばであった。追手の大将、秀郷の軍は総勢3000人。その一部が幸神(さちがみ)に陣を取り、はるか勝峰山の将門軍約400人に対峙した(このため、秀郷軍が陣取ったあたりは、後に「藤太口(とうたぐち)」といわれている)。天慶(てんぎょう)三年、屠蘇(とそ)の香も消えやらぬ正月七日、秀郷軍は武将菅口(すげぐち)六郎を先発隊に、向山より攻めのぼった。すると、将門軍はいっきに迎えてうって出た。ことに将門はならぶものなき大力(だいりき)の持主であったので、一丈(三メートル)もの金棒を振りまわして奮闘した。戦いは激烈をきわめ、勝敗もつかぬまま夕方となり、両軍は小休止をはじめた。いっぽう、戦いのようすを藤太橋(藤原秀郷の陣地のあったあたり)からながめていた秀郷は、ややいら立ちはじめた。
すると、そのときのことである。馬に跨った大将らしい者の姿が、茜空(あかねぞら)にくっきりと浮かびあがったではないか。「将門にまちがいなし」とにらんだ秀郷は、ここぞとばかり、そばに生えていて欅(けやき)の木に弦(つる)を張り強弓を作って、従者十人に引きしぼらせた。そして、将門めがけてヒョーと放つと、矢はぐんぐんと延び、将門の鎧の袖をかすめて、向こう側の谷への消えていった(秀郷の矢が越えた沢を「矢越沢(やごうさわ)」と呼ぶようになった)。
さすが、将門も衆寡(しゅうか)敵せずとさとり、せまりくる宵闇を幸いに、風穴洞を抜けて山を降り、将門坂(まざか)を越えて、青梅方面へ逃れていった。そして、金剛寺に立ち寄り、梅の一枝を地にさして、「わが事成るなら、この梅栄えよ。成らぬ枯れよ」と祈願したので、のちに青梅の名が生まれたという。
日の出町史 文化財編 第七章「伝説・むかしばなし」より
第二展望台の解説案内板
21世紀の桜の森・勝峰山・歴史と伝説の森
勝峰山(かつぼやま)
勝峰山(四五四・四メートル)は勝雄山ともいい、全山が石灰岩からなり、細尾・岩井・幸神(さちがみ)の集落へのしかかるように屹立(きつりつ)している。かつて、平将門がこの山上に城塞を構えたという伝説がある。この山の石灰岩に着目してセメント工場が建設された。
朝・昼・夜の三交替制で従業員が1000人以上という大工場になり、第二次世界大戦後の復興に貢献した。ロンデン尾根は勝峰尾根とは別に南東へ幸神尾根を派生させている。この尾根はあきる野市入野地域と境を接しながら高度を下げ、ぐみの木峠(230メートル)や小机(こづくえ)坂を経て羽生(はぶ)丘陵へんと続く。
日の出町史 通史編 上巻 第一章「自然環境」より抜粋