天覧山~多峯主山~龍崖山 1/4

      2018/04/04

駐車場情報

飯能市民会館前中央公園駐車場

この駐車場は、中央公園の駐車場で桜の木がたくさん植えられているため花見の時期は大変混雑します。しかし朝早ければご覧のようにまだだま駐車できます。

これが朝の9時を過ぎようものならもう満車状態になりますので、桜の時期は朝の8時前に駐車場に車を入れてしまうか、時期をはずすかしたほうがよいでしょう。

位置 下の地図(グーグルマップ内)のPの場所になります。
料金 無料
駐車可能台数 約70台
最終確認日 2018年4月2日
備考

飯能市民会館及び中央公園西側駐車場

この駐車場は中央公園の道を挟んだ向かい側に増設された駐車場です。今回は4月2日で桜満開の日の朝7時半に到着したところ、駐車場はまだガラガラでした。ちなみに写真奥の小高い山が天覧山です。

位置 下の地図(グーグルマップ内)のPの場所になります。
料金 無料
駐車可能台数 約40台
最終確認日 2018年4月2日
備考

龍崖山公園駐車場

この駐車場を周回ルートの起点にすることも可能です。最近駐車場が増設(奥の未舗装部分)され合計で20台駐車可能になりました。

位置 下の地図(グーグルマップ内)のPの場所になります。
料金 無料
駐車可能台数 約20台
最終確認日 2018年3月14日
備考

登山ルート情報

天覧山~多峯主山~龍崖山(周回コース)

出発地点 飯能市民会館駐車場
所要時間 4時間25分
登山ルート 飯能市民会館及び中央公園西側駐車場~天覧山~多峯主山~ドレミファ橋~八耳堂~龍崖山~龍崖山公園~あさひ山展望公園~飯能河原~飯能市民会館及び中央公園西側駐車場

トイレ、コンビニ情報

トイレ情報

  • 飯能市民会館前中央公園駐車場地内にきれいな公衆トイレがあります。
  • 天覧山中腹に公衆トイレがあります。
  • 八耳堂横にきれいな公衆トイレがあります。
  • 龍崖山公園内にきれいな公衆トイレがあります。
  • 飯能河原内にきれいな公衆トイレがあります。

コンビニ情報

駐車場付近にはありません。飯能駅周辺で立ち寄っておきましょう。

登山記録

今回は、天覧山から多峯主山(とうのすやま)を経由し、ドレミファ橋を渡り龍崖山(りゅうがいさん)でほぼ360度の展望を楽しみ、さらに美杉台のあさひ山展望公園を通り抜けて飯能河原へ下り、リニューアルオープンした飯能市立博物館を見学してから駐車場に戻る周回ルートを歩いてみることにしました。

駐車場から天覧山へ

ここの駐車場は広く、合計すると100台以上駐車可能です。ただ飯能市民会館や中央公園広場で行事などがある場合はとても混雑が予想されるので、事前にホームページなどで調べてから登山計画を立てるとよいでしょう。

中央公園内に男女別のきれいな公衆トイレがあります。出発前に立ち寄っておくとよいでしょう。

この日はちょうど飯能春まつりの期間中で、この中央公園と飯能河原が会場になってました。今回は周回コースにしているので飯能河原も立ち寄れそうです。

中央公園内にはたくさんの桜の木が植えられていて今がちょうど満開でした。まだ地面には花びらがほとんど落ちておらず、風もなく穏やかな一日になりそうです。

まだ朝の8時前だったので出店はみんな閉まっていましたが、下山する頃には多くの家族連れでにぎわいそうです。

中央公園を通り抜け、車道を渡ると別の小さな公園があります。そこに「天覧山」と書かれた案内板がありますので、それに従って公園内を通り抜けます。

30mほど先で公園を通り抜け舗装道路に出るので左へ進みます。

公園を通り抜けたところには、このように大きな案内板があります。

少し歩くと「忠霊塔」と書かれた碑があります。ちょっと気になったので立ち寄ってみることにしました。

入り口には解説板があり、読んでみると飯能出身の戦没者を供養するために建てられたものだとわかりました。

登山が目的だとこのような碑があってもただ通り過ぎてしまいがちですが、よく内容を読んでみると今の平和な時代を生き、登山を楽しめるのもこのような多くの先人たちの犠牲があってのことだと考えさせられてしまいます。

名勝・天覧山に建つこの「忠霊塔」は、日清戦争から太平洋戦争に至る幾多の戦争において、郷土や国のために身命を捧げられた旧飯能町出身の戦没者四百余柱を慰霊するために、昭和二十七年に町の多くの有志の皆様により建立されました。

尊い犠牲の上に築かれた平和が末永く続くことを祈念いたします。

飯能市遺族会飯能支会

講和条約も調印を終了し日本はいよいよ独立国として立ち上がる明るい希望の日を迎えました。顧みればあやまった指導のもととは云いながら家庭を忘れ只一途に出征をせられました幾多の同胞は遂に明るいこの日を見ることなく永遠に帰らぬ人となられたのであります。

終戦後我々もこれ等の方々の慰霊の方法については常に心に止めては居りながら遂に今日までのびのびになった事は慚愧にたえませんでしたが此の度我々同志の希望が叶い講和の時をトして当天覧山麓に此の忠霊塔を建設することを得まして永久に故郷の地に御霊(みたま)をお慰め申し上げ平和の守と致すことができました事を無常の悦びと致します。

之も偏に御理解ある旧飯能町の皆様方のご賛同ご協力のたまものと委員一同感謝すると共に茲に謹んで御霊の御冥福を御祈念する次第であります。

昭和二十七年九月二十三日

忠霊塔建設有志会代表 田中 小三郎

15分で天覧山中段へ

「忠霊塔」などの案内板をしっかりと読んで、写真を撮りながら登ってもここ天覧山の中段へ15分ほどで到着してしまいます。ただ歩くだけであれば10分くらいしかかからないでしょう。

天覧山中段は、広場のようになっており明るく気持ちの良い場所です。

左を見るとまたまた何やら正体不明のオブジェのようなものがあります。近づいてみるとミドリ十字が正面にあり、何となく労働安全関連のものだとわかりました。

台座の横にはこの碑を設置した趣旨が書かれており、労働災害で亡くなられた方を慰霊するために建てられたということが分かりました。また台座の反対側には設置の目的と設置者が記されていました。

労働基準法と労働者災害補償保険法施行10周年を記念して埼玉労働基準局と埼玉労働基準協会が昭和32年9月に設置したとありました。

職場に精励する労働者が不慮の災禍に襲われ一瞬にしてその生命を失うことに痛惜の至りである。かかる殉職こそは正に産業発展の礎石であり尊い人柱というべきである。

ここに霊を慰め誓って産業災害の絶滅を期しもって尊霊の遺徳に報いんとする

天覧山中段には男女別のしっかりした公衆トイレが設置されていました。山の中の公衆トイレとしてはかなり衛生的でしっかりと管理されているようです。

桂昌院から送られた十六羅漢像へ

中段を通り過ぎて進むとすぐに道が左右に分かれます。左へ進むと徳川五代将軍綱吉の生母である桂昌院から送られた十六羅漢像を見学してから山頂へ行くことができます。直進するとダイレクトに天覧山の山頂へ行けます。

十六羅漢像

この石仏像は、徳川五代将軍綱吉がたまたま重い病におかされたおり、生母、桂昌院は大変心配して、親しかった飯能出身の大名黒田直邦に相談したところ、直邦はその菩提寺能仁寺の泰基和尚による病気平癒の祈願をすすめ、和尚はただちに江戸城に召され祈願を行った。

その霊験によりたちどころに健康を取り戻したという。桂昌院はこれを喜び、報恩感謝のしるしに十六体の羅漢像を寄進し、ほかに綱吉の守本尊伽羅木観音像と金襴の袈裟を贈ったと伝えられている。

これまでこの山は、愛宕山と呼ばれていたが、このときから羅漢山といわれるようになり、後に天覧山と改称された。

昭和五十五年三月

埼玉県

岩肌に張り付くように石仏が置かれていて、ちょっと薄気味悪い感じもしますが、まわりの木々も多少伐採され以前よりかは明るくなったように思います。

岩の上にも置かれています。過去に起きた大きな地震でも崩れ落ちなかったのでしょうか。ちょっと心配になります。

展望デッキのある天覧山からの見晴しは最高

十六羅漢像を通り抜け石段をちょっと登ると天覧山山頂の展望台が見えてきます。下から見ると山頂にこんなコンクリート製の展望台があるのが不自然にみえますが、遠目からは樹木に囲まれて全くわかりません。

天覧山の山頂は岩が多くゴツゴツした感じです。標高は195mと低山なのですが、展望台があるおかげで見晴らしは素晴らしいものがあります。また「天覧山」と書かれた看板の右横にある碑は「行幸記念碑」と書かれています。

これは明治天皇がここまで来られて軍隊の演習をご覧になった記念に建てられということです。

コンクリート製の展望台は広く飯能市街だけでなく遠くの山々まで見通せます。

すぐ手前に見えるのは最後に登る龍崖山(りゅうがいさん)です。この3つのコブのような山を右から左へ進み向こう側に下ると龍崖山公園です。奥に霞んで見えるのが東京の大岳山です。そして龍崖山の奥に霞んで見えるのは御前山です。

手前に目を移すと朝車を停めた駐車場や飯能市民会館そして最後に立ち寄る予定の飯能市立博物館が見えます。

こちらが飯能駅と東飯能駅周辺の街並みです。天覧山の山頂にもいくつか解説板が設置されているので、しっかりと読んでおくことにします。

天覧山の勝(県指定名称)

海抜194.6メートル、古くは愛宕山と呼ばれていたが、元禄年間、将軍綱吉公の生母桂昌院が十六羅漢を安置したことから以来羅漢山と称せられた。明治十六年近衛諸兵対抗演習に際し、戦況ご視察のため明治天皇が登頂された後、天覧山と改称された。

中段には明治天皇が登頂されたとき、御乗馬金華山を繋いだといわれることより名がついた御駒繋松がある。また山頂に銘じ四十五年四月建立した行幸記念碑がある。

山容の美しさに加えて、山内に名刹能仁寺をはじめ、郷土の武将、学者、文人の墓、史跡、碑も数多く、埼玉県指定名称の第一号となった。

天覧山

天覧山は、海抜195メートルで飯能の市街地の北西部に位置し、麓には曹洞宗の寺院である武陽山能仁寺がある。この山は、享保12(1727)年の能仁寺境内図に「あたご山」と記されているが、これは山頂に愛宕社があったことによる。

その後、中段に十六羅漢の石像が造立、奉納されたことにより「羅漢山」と称されるようになった。そして、明治16(1883)年4月、当地で近衛歩兵第1第2連隊、砲兵隊などの諸隊による春季小演習が行われた。

その折明治天皇がこの山に登り、その様子を統監したことから、「天覧山」と呼ばれるようになった。明治45(1912)年、武蔵野鉄道(現在の西武池袋線)の解説が具体化されると、飯能町ではその鉄道を利用した観光資源の開発に着手し、天覧山は飯能遊覧地の区域の一部となり、本市を代表する観光地として知られるようになった。

山頂の展望台からは、遠くは秩父連峰、奥多摩の山々やはるか富士山を望むことができ、その手前に見える稜線は加治丘陵である。登り口の中段からこの山頂にかけて露頭しているのはチャートの岩盤であるが、これは「秩父中・古生層」もしくは「秩父層群」と呼ばれ、古生代石炭紀から中生代ジュラ紀(約3億5千万年前から1億5千万年前)に海底でできた地層が隆起したものである。

天覧山は、対象11(1922)年3月に、埼玉県で第一号の名勝に指定された。

天覧山からの展望を十分に楽しんだら、次の目的地である多峯主山(とうのすやま)へ向かいましょう。山頂裏の階段を真っすぐにひたすら下っていきます。

(→ 天覧山~多峯主山~龍崖山 2へ)

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