天覧山、多峯山、龍崖山の基本情報
飯能市内にある3つの低山をめぐるコースは、冬の寒い時期が一番の登山適期です。いづれの山の山頂からもすばらしい展望がそれなりに楽しめます。
天覧山はコンクリート製の展望台があり、多峯山は北側の樹木が伐採され群馬の山並みが見渡せるようになりました。
また龍崖山は、木々の間から南側を除く方角をすべて眺めることができます。
山名 | ①天覧山(てんらんざん)、②多峯山(とうのすやま)、③龍崖山(りゅうがいさん) |
標高 | ①天覧山:195m、②多峯山:271m、③龍崖山:246m |
場所 | ①~③:埼玉県飯能市 |
駐車場 | 飯能市民会館前中央公園駐車場(無料)、飯能市民会館及び中央公園西側駐車場(無料)、龍崖山公園駐車場(無料) |
備考 |
駐車場情報
飯能市民会館前中央公園駐車場
この駐車場は、中央公園の駐車場で桜の木がたくさん植えられているため花見の時期は大変混雑します。しかし朝早ければご覧のようにまだだま駐車できます。
これが朝の9時を過ぎようものならもう満車状態になりますので、桜の時期は朝の8時前に駐車場に車を入れてしまうか、時期をはずすかしたほうがよいでしょう。
位置 | 下の地図(グーグルマップ内)のPの場所になります。 |
料金 | 無料 |
駐車可能台数 | 約70台 |
最終確認日 | 2018年4月2日 |
備考 |
飯能市民会館及び中央公園西側駐車場
この駐車場は中央公園の道を挟んだ向かい側に増設された駐車場です。今回は4月2日で桜満開の日の朝7時半に到着したところ、駐車場はまだガラガラでした。ちなみに写真奥の小高い山が天覧山です。
位置 | 下の地図(グーグルマップ内)のPの場所になります。 |
料金 | 無料 |
駐車可能台数 | 約40台 |
最終確認日 | 2018年4月2日 |
備考 |
龍崖山公園駐車場
この駐車場を周回ルートの起点にすることも可能です。最近駐車場が増設(奥の未舗装部分)され合計で20台駐車可能になりました。
位置 | 下の地図(グーグルマップ内)のPの場所になります。 |
料金 | 無料 |
駐車可能台数 | 約20台 |
最終確認日 | 2018年3月14日 |
備考 |
登山ルート情報
天覧山~多峯主山~龍崖山(周回コース)
出発地点 | 飯能市民会館駐車場 |
所要時間 | 4時間25分 |
登山ルート | 飯能市民会館及び中央公園西側駐車場~天覧山~多峯主山~ドレミファ橋~八耳堂~龍崖山~龍崖山公園~あさひ山展望公園~飯能河原~飯能市民会館及び中央公園西側駐車場 |
トイレ、コンビニ情報
トイレ情報
- 飯能市民会館前中央公園駐車場地内にきれいな公衆トイレがあります。
- 天覧山中腹に公衆トイレがあります。
- 八耳堂横にきれいな公衆トイレがあります。
- 龍崖山公園内にきれいな公衆トイレがあります。
- 飯能河原内にきれいな公衆トイレがあります。
コンビニ情報
駐車場付近にはありません。飯能駅周辺で立ち寄っておきましょう。
天覧山~多峯山~龍崖山の登山記録
山行日 | 2018年4月2日(月) |
山行形態 | 単独 |
天候 | 晴れ |
今回は、天覧山から多峯主山(とうのすやま)を経由し、ドレミファ橋を渡り龍崖山(りゅうがいさん)でほぼ360度の展望を楽しみ、さらに美杉台のあさひ山展望公園を通り抜けて飯能河原へ下り、リニューアルオープンした飯能市立博物館を見学してから駐車場に戻る周回ルートを歩いてみることにしました。
駐車場から天覧山へ
ここの駐車場は広く、合計すると100台以上駐車可能です。ただ飯能市民会館や中央公園広場で行事などがある場合はとても混雑が予想されるので、事前にホームページなどで調べてから登山計画を立てるとよいでしょう。
中央公園内に男女別のきれいな公衆トイレがあります。出発前に立ち寄っておくとよいでしょう。
この日はちょうど飯能春まつりの期間中で、この中央公園と飯能河原が会場になってました。今回は周回コースにしているので飯能河原も立ち寄れそうです。
中央公園内にはたくさんの桜の木が植えられていて今がちょうど満開でした。まだ地面には花びらがほとんど落ちておらず、風もなく穏やかな一日になりそうです。
まだ朝の8時前だったので出店はみんな閉まっていましたが、下山する頃には多くの家族連れでにぎわいそうです。
中央公園を通り抜け、車道を渡ると別の小さな公園があります。そこに「天覧山」と書かれた案内板がありますので、それに従って公園内を通り抜けます。
30mほど先で公園を通り抜け舗装道路に出るので左へ進みます。
公園を通り抜けたところには、このように大きな案内板があります。
少し歩くと「忠霊塔」と書かれた碑があります。ちょっと気になったので立ち寄ってみることにしました。
入り口には解説板があり、読んでみると飯能出身の戦没者を供養するために建てられたものだとわかりました。
登山が目的だとこのような碑があってもただ通り過ぎてしまいがちですが、よく内容を読んでみると今の平和な時代を生き、登山を楽しめるのもこのような多くの先人たちの犠牲があってのことだと考えさせられてしまいます。
名勝・天覧山に建つこの「忠霊塔」は、日清戦争から太平洋戦争に至る幾多の戦争において、郷土や国のために身命を捧げられた旧飯能町出身の戦没者四百余柱を慰霊するために、昭和二十七年に町の多くの有志の皆様により建立されました。
尊い犠牲の上に築かれた平和が末永く続くことを祈念いたします。
飯能市遺族会飯能支会
講和条約も調印を終了し日本はいよいよ独立国として立ち上がる明るい希望の日を迎えました。顧みればあやまった指導のもととは云いながら家庭を忘れ只一途に出征をせられました幾多の同胞は遂に明るいこの日を見ることなく永遠に帰らぬ人となられたのであります。
終戦後我々もこれ等の方々の慰霊の方法については常に心に止めては居りながら遂に今日までのびのびになった事は慚愧にたえませんでしたが此の度我々同志の希望が叶い講和の時をトして当天覧山麓に此の忠霊塔を建設することを得まして永久に故郷の地に御霊(みたま)をお慰め申し上げ平和の守と致すことができました事を無常の悦びと致します。
之も偏に御理解ある旧飯能町の皆様方のご賛同ご協力のたまものと委員一同感謝すると共に茲に謹んで御霊の御冥福を御祈念する次第であります。
昭和二十七年九月二十三日
忠霊塔建設有志会代表 田中 小三郎
15分で天覧山中段へ
「忠霊塔」などの案内板をしっかりと読んで、写真を撮りながら登ってもここ天覧山の中段へ15分ほどで到着してしまいます。ただ歩くだけであれば10分くらいしかかからないでしょう。
天覧山中段は、広場のようになっており明るく気持ちの良い場所です。
左を見るとまたまた何やら正体不明のオブジェのようなものがあります。近づいてみるとミドリ十字が正面にあり、何となく労働安全関連のものだとわかりました。
台座の横にはこの碑を設置した趣旨が書かれており、労働災害で亡くなられた方を慰霊するために建てられたということが分かりました。また台座の反対側には設置の目的と設置者が記されていました。
労働基準法と労働者災害補償保険法施行10周年を記念して埼玉労働基準局と埼玉労働基準協会が昭和32年9月に設置したとありました。
職場に精励する労働者が不慮の災禍に襲われ一瞬にしてその生命を失うことに痛惜の至りである。かかる殉職こそは正に産業発展の礎石であり尊い人柱というべきである。
ここに霊を慰め誓って産業災害の絶滅を期しもって尊霊の遺徳に報いんとする
天覧山中段には男女別のしっかりした公衆トイレが設置されていました。山の中の公衆トイレとしてはかなり衛生的でしっかりと管理されているようです。
桂昌院から送られた十六羅漢像へ
中段を通り過ぎて進むとすぐに道が左右に分かれます。左へ進むと徳川五代将軍綱吉の生母である桂昌院から送られた十六羅漢像を見学してから山頂へ行くことができます。直進するとダイレクトに天覧山の山頂へ行けます。
十六羅漢像
この石仏像は、徳川五代将軍綱吉がたまたま重い病におかされたおり、生母、桂昌院は大変心配して、親しかった飯能出身の大名黒田直邦に相談したところ、直邦はその菩提寺能仁寺の泰基和尚による病気平癒の祈願をすすめ、和尚はただちに江戸城に召され祈願を行った。
その霊験によりたちどころに健康を取り戻したという。桂昌院はこれを喜び、報恩感謝のしるしに十六体の羅漢像を寄進し、ほかに綱吉の守本尊伽羅木観音像と金襴の袈裟を贈ったと伝えられている。
これまでこの山は、愛宕山と呼ばれていたが、このときから羅漢山といわれるようになり、後に天覧山と改称された。
昭和五十五年三月
埼玉県
岩肌に張り付くように石仏が置かれていて、ちょっと薄気味悪い感じもしますが、まわりの木々も多少伐採され以前よりかは明るくなったように思います。
岩の上にも置かれています。過去に起きた大きな地震でも崩れ落ちなかったのでしょうか。ちょっと心配になります。
展望デッキのある天覧山からの見晴しは最高
十六羅漢像を通り抜け石段をちょっと登ると天覧山山頂の展望台が見えてきます。下から見ると山頂にこんなコンクリート製の展望台があるのが不自然にみえますが、遠目からは樹木に囲まれて全くわかりません。
天覧山の山頂は岩が多くゴツゴツした感じです。標高は195mと低山なのですが、展望台があるおかげで見晴らしは素晴らしいものがあります。また「天覧山」と書かれた看板の右横にある碑は「行幸記念碑」と書かれています。
これは明治天皇がここまで来られて軍隊の演習をご覧になった記念に建てられということです。
コンクリート製の展望台は広く飯能市街だけでなく遠くの山々まで見通せます。
すぐ手前に見えるのは最後に登る龍崖山(りゅうがいさん)です。この3つのコブのような山を右から左へ進み向こう側に下ると龍崖山公園です。奥に霞んで見えるのが東京の大岳山です。そして龍崖山の奥に霞んで見えるのは御前山です。
手前に目を移すと朝車を停めた駐車場や飯能市民会館そして最後に立ち寄る予定の飯能市立博物館が見えます。
こちらが飯能駅と東飯能駅周辺の街並みです。天覧山の山頂にもいくつか解説板が設置されているので、しっかりと読んでおくことにします。
天覧山の勝(県指定名称)
海抜194.6メートル、古くは愛宕山と呼ばれていたが、元禄年間、将軍綱吉公の生母桂昌院が十六羅漢を安置したことから以来羅漢山と称せられた。明治十六年近衛諸兵対抗演習に際し、戦況ご視察のため明治天皇が登頂された後、天覧山と改称された。
中段には明治天皇が登頂されたとき、御乗馬金華山を繋いだといわれることより名がついた御駒繋松がある。また山頂に銘じ四十五年四月建立した行幸記念碑がある。
山容の美しさに加えて、山内に名刹能仁寺をはじめ、郷土の武将、学者、文人の墓、史跡、碑も数多く、埼玉県指定名称の第一号となった。
天覧山
天覧山は、海抜195メートルで飯能の市街地の北西部に位置し、麓には曹洞宗の寺院である武陽山能仁寺がある。この山は、享保12(1727)年の能仁寺境内図に「あたご山」と記されているが、これは山頂に愛宕社があったことによる。
その後、中段に十六羅漢の石像が造立、奉納されたことにより「羅漢山」と称されるようになった。そして、明治16(1883)年4月、当地で近衛歩兵第1第2連隊、砲兵隊などの諸隊による春季小演習が行われた。
その折明治天皇がこの山に登り、その様子を統監したことから、「天覧山」と呼ばれるようになった。明治45(1912)年、武蔵野鉄道(現在の西武池袋線)の解説が具体化されると、飯能町ではその鉄道を利用した観光資源の開発に着手し、天覧山は飯能遊覧地の区域の一部となり、本市を代表する観光地として知られるようになった。
山頂の展望台からは、遠くは秩父連峰、奥多摩の山々やはるか富士山を望むことができ、その手前に見える稜線は加治丘陵である。登り口の中段からこの山頂にかけて露頭しているのはチャートの岩盤であるが、これは「秩父中・古生層」もしくは「秩父層群」と呼ばれ、古生代石炭紀から中生代ジュラ紀(約3億5千万年前から1億5千万年前)に海底でできた地層が隆起したものである。
天覧山は、対象11(1922)年3月に、埼玉県で第一号の名勝に指定された。
天覧山から多峯山へ
天覧山からの展望を十分に楽しんだら、次の目的地である多峯主山(とうのすやま)へ向かいましょう。山頂裏の階段を真っすぐにひたすら下っていきます。
天覧山の山頂から長い階段を下っていると左の木々の間から小さなピークが見えてきます。ここがこれから向う多峯主山(とうのすやま)の山頂です。
多峯主山(とうのすやま)の山頂は、東と西が樹木があって見通しはよくないのですが、南と北はすっきりとしていて遠くまで見通せます。またよく日が差し込む山頂で、特に天覧山の山頂からは見えなかった北側、群馬の山並みを楽しめます。
天覧山の山頂からまっすぐ階段を降りると平らな場所に出ます。ここを右に進むと多峯主山ですがしばらくは平らでよく整備された遊歩道的な道をのんびりと歩きます。
4月上旬だったので山桜も咲いていました。日本の古き良き時代の里山の風景が守られている場所です。天覧山から多峯主山一帯は、この美しい景観をずっと後世まで残していくために「飯能市景観緑地指定地」になっており、開発等は制限されているようです。
整備された歩道を道なりに歩いていると道が左へ曲がる場所へ到着しますが、ここにも案内板が設置されています。内容は源義経の母、常盤御前がこの坂を登った時、あまりの風景の良さに何度も振り返ったため見返り坂と呼ばれるようになったと書かれていました。
見返り坂と飯能笹(県指定天然記念物)
見返り坂は、源義経の母、常盤御前がこの山に登ったとき、あまりの風景のよさに後を振り返り、振り返り登ったことによりこの名がついたといわれている。この見返り坂の麓に植物学者、故牧野富太郎博士により発見され、命名された飯能笹の植生がある。
この笹は、アズマザサの仲間で根茎は横に走り、茎はこげ茶色をしてまっすぐ立ち、高さは百五十センチメートル前後、直径0.6センチメートルほどになる。茎の上部で枝が分かれ、枝の端には手のひらをひろげたように数枚の葉が集まってついている。葉は細長く、長さ十三~二十センチメートル、幅二センチメートル内外で先はとがっている。
質は薄い洋紙質で表面は毛がなく、裏面にはビロード状の細毛がある。中央の脈は細長く裏面に隆起しており、この両側に五~八本の脈をもっていて、冬期に葉のふちは白色となる。一見普通の笹のようにみえるが、幹の色、枝の出方などに特色がある。繁殖力はさほどなく、古くからこの地にのみ限られて生えている。
昭和五十五年三月
埼玉県
ちょっと長めの階段を頑張って登ります。
階段を登り切ると傾斜は緩やかになり、道が合流したり分岐したりしますが、このように案内板がしっかりと設置されているので迷うことはありません。今回はまず多峯主山へ登り、下りながらいろいろな場所を散策しようと思っています。
そのため案内板に従って山頂を目指します。するとすぐに石段が出てきてずっと山頂まで続きます。
多峯主山(とうのすやま)の山頂に到着!
天覧山から30分ちょっとで多峯主山(とうのすやま)の山頂に到着します。山頂は左右(東西)に木がありますが、明るく開けています。山頂には平らな場所はなく、山頂の看板のあるところが一番高い場所になっていて、ここに石に経文を書いて埋められたとされる経塚もあります。
一段下がったところにはテーブルベンチが2セット置かれています。ここからは南側の山並みを一望することができ、特に冬には遠く富士山までもがくっきりと眺めることができます。
山頂の北側も今は樹木が伐採され、群馬県方面の山々を見通せるようになり、一段と魅力的な山になりました。
多峯主山の山頂にも観光案内板があり、この山や経塚についてわかりやすく解説されています。
多峯主山と経塚
多峯主山は天覧山の北西にあり、海抜二七一メートルの山で山頂に三等三角点がある。文字とおりこのあたりの山ではひときわ高く、登り口には、県指定天然記念物の飯能笹が自生しており、また常盤御前にまつわる「見返り坂」や「よし竹」の伝説がある。
「よし竹」は、常盤御前がこの山に登りながら「源氏再び栄えるならこの杖よし竹となれ」といって持っていた竹杖を地に立てたところ、それが根づいて一面の竹林となったといわれ、今日でもわずかながら、よし竹と呼ばれる竹の植生がある。
「常盤が丘」には、常盤御前の墓があったといわれ、宝篋印塔がある。その近くに「常盤平」と呼ばれている眺めのよい場所がある。中腹には、いまだ一度も水のかれたことのないといわれている「雨乞池」、頂上近くには、郷土の武将、上州沼田城主の黒田直邦の墓がある。
山頂にある経塚は、石に経文を書いて土の中に埋めた塚で、岩石を釜底形に掘った穴に約一万二千個の河原石が埋蔵されており、明和二年(1765年)の年号が刻まれた経塚供養塔が建っている。
昭和五十五年三月
埼玉県
10年ほど前に来た時にはこのベンチの前にも高く成長した木々があり、殆ど見通しがきかなかったのですが、今ではすべて伐採され奥多摩の大岳山や御前山なども眺めることができるようになりました。
山頂案内板のすぐ横には三等三角点があります。山頂は樹木が伐採されると見晴らしが良くなっていいのですが、風雨に直接さらされる山頂はどんどん風化が進み、三角点のまわりの土もえぐられてきてしまうようです。
黒田直邦の墓、常盤平、雨乞池等の周辺の見どころを散策しよう!
多峯主山は、山頂からの展望だけでなく周辺には見て回るものがたくさんあります。まずは黒田直邦のお墓に立ち寄ってそれから常盤平、宝篋印塔、雨乞池そして御嶽八幡神社の順に進むと一番効率的でしょう。
山頂から案内板に従って登山道を下るとこのように大きな石のまわりを頑丈な石柱で囲んである場所にでます。調べてみると黒田直邦の亡骸は、この大きな石の下に埋葬されているそうです。
その大きな石の真下には、立派な墓石が建っています。多峯主山の山頂の経塚といい、このお墓といい、きれいな花が供えられています。おそらく麓の能仁寺が黒田家の菩提寺なので定期的に花を供えているのでしょう。
黒田直邦侯墓
昭和33年4月15日指定
この墓は、江戸時代に飯能地方を領していた黒田氏の祖、直邦侯を葬るものである。侯は丹党武人中山氏の出であるが、外祖父黒田直相に養われてその姓を名乗り、黒田を称した。墓銘に「丹治直人」と丹党の姓が記されている。
侯は若い頃、五代将軍綱吉に出仕して30人扶持を拝した。これが官に仕えた始めで、以後八代将軍吉宗に至るまで、実に四代50余年も歴任し、信任厚く、進級に進級を重ねて、ついに侍従となり老職となり、いでては上州沼田城主3万余石の大名となった。
侯が飯能地方を領したのは宝永4年(1707)以降である。そして享保20年(1735)70才でなくなったが、世嗣直純は、祖先ゆかりの地飯能に墓所を求め霊場多峯主を選んで墾ろに葬り、永く一族領内の鎮めとしたものである。
なお黒田氏は2代直純のとき、上総久留里城主に転じ、飯能地方の領主に変わりなく明治維新に及んだ。黒田氏歴世の墓は能仁寺墓地にある。
昭和50年7月
飯能市教育委員会
黒田直邦侯の墓から道なりに右に進むときれいなバイオ式トイレがあります。
バイオ式トイレを通り過ぎて進むと案内板が出て来ます。左へ進むと常盤平で直進すると御嶽八幡神社とあります。まずは常盤平へ行ってみるので左へ進むことにします。すると山桜が咲いている場所が見えてきました。
よく見るとテーブルベンチも見えます。
平らな場所に「常盤平」と書かれたポールが建っていて、テーブルベンチが2脚設置されていました。ここからも南側が見通せるようになっていますが、標高が低いのでそれなりの展望です。
ここも10年前に来たときは南側に木が茂っていて薄暗い場所だったのですが、きれいに整備されて明るく気持ちの良い場所になっていました。
常盤平の先に常盤御前のお墓があったとされる場所があるのですが、今は写真の宝篋印塔しか残されていないようです。
常盤平に戻りそこから下に下ると雨乞池があります。ここは山頂付近にあるにもかかわらず池の水が枯れたことがないという不思議な池だそうです。
ここも以前はもっと木が密集して生えていて写真が撮れないくらい薄暗かったのですが、池の周りの木がかなり伐採されたようで陽が差し込み明るくなっていました。
雨乞(あまごい)池
この池を雨乞池または雨乞渕という。こんな山頂にありながら、かって水の枯れたことのない池である。古くは、この上手に高?(たかおかみ)、闇?(くらおかみ)(雨をつかさどる神として古来祈雨(きう)・止雨の神)がまつってあって、近郷の人たちの信仰が厚かった。
田畑の作物が枯れるような旱天(かんてん)が続くと、ここに集まって、神に雨を乞い、池のまわりでにぎやかなお祭りをしたという。「この水を濁すと雨が降る」といい、また、鼻をつまみ息を止めて七廻りすると、池の中に異変がおかるといったような伝説もある。
昭和55年3月
埼玉県
御嶽八幡神社からの見晴しも素晴らしい!
雨乞池からはまたバイオ式トイレのところまで登り返し、そこから御嶽八幡神社へ向かいます。すると森から抜け見晴らしの良い場所に出ます。ここが御嶽八幡神社です。
この御嶽八幡神社は、南から西側が特に開けていてとても見晴らしが良い場所に建っています。ここにも埼玉県が設置した観光案内板があります。
御嶽八幡(おんたけはちまん)神社
御嶽八幡神社は通称「おんたけさん」といい、誉田別命、大己貴命、少彦名命が祀られている。創立年代は不詳である。多峯主山の前面にあって、一大岸壁の突き立つ所を前岩と呼んでいるが、ここに古くから小社が鎮座し、多峯主山一面の守りをなしていた。
江戸時代の末期に与平という人が、かねてから琴平宮を屋敷内に祀り、ひそかに信仰していた。当時この山一帯は、黒田氏の領地で飯能村寄合名主の大河原氏が領主の委任を受けて管理していた。与平は大河原氏の依頼によって曽根刈りなど山仕事に当たっていたが、ある日、前岩付近で昼寝をして目がさめてみるといつの間にか山麓にころげおちていた。
不思議に思った与平は、この山に琴平宮を祀ることを決心し、百余段の階段を築き、一族とともに参拝したといわれている。明治の初め、御嶽教がさかんになり、丸田開元という人が中心となって名主大河原又右衛門とはかり、信州の御嶽神社の分霊を安置し、同時に講をおこした。
その後明治四十年、武人八幡を合祀し、御嶽神社を改めて御嶽八幡神社と改称した。産土神として信仰が厚い。
昭和五十五年三月
埼玉県
御嶽八幡神社から南側を見ると最後の目的地である龍崖山が正面に見えることがわかりました。この龍崖山の山頂は一見すると樹木に覆われて展望がなさそうに見えるのですが、かなり樹木が間引かれているためほぼ360度見渡せるほど長めの良い山です。
多峯主山から龍崖山そして飯能河原へ
御嶽八幡神社から吾妻峡を目指して登山道を下ります。少し下ると右手に大きな岩場が見えてきます。振り返ると今まで展望を楽しんでいた御嶽八幡神社がこんな岩場の上に建てられていたことに気づきます。
目指すは龍崖山ですが、しばらくの間は「吾妻峡」の案内板を頼りに進みます。
御嶽八幡神社までの登山道にはずっとこのような石段が作られていて、地元の方々の信仰の深さがうかがえます。
石段を下りきると再び平らな里山の景観のある場所に出ます。道端には黄色いスイセンや白いジンチョウゲの花が咲いていました。4月の芽吹きの季節に里山を歩くのもいいですね。
しばらく歩くと民家が見えてきて車道に出ます。鳥居のところには案内板があるので迷うことはありません。
「吾妻峡」方面へ進みます。ここを右に曲がると飯能市街と名栗湖(有馬ダム)を結ぶ広い車道に出ます。
広い車道に出て右へ進むと左手に小高い山が見えます。その山が目指す龍崖山です。
広い車道に出てから200mほど歩くと「吾妻峡」の案内板が出て来ます。ここで信号のない横断歩道を渡り、反対側の道へ入っていきます。
この店舗の横の道を真っすぐに歩いていき、住宅街の中を進みます。
住宅街の中にも案内板があり、迷うことなく吾妻峡(ドレミファ橋)まで行くことができます。
一見すると民家の敷地内と思える場所を通り抜けるとまた「吾妻峡」の案内板があります。ここを下った先が入間川の吾妻峡です。
吾妻峡のドレミファ橋を渡ろう
ここが吾妻峡のドレミファ橋です。思ったよりも石橋の高さはありません。ちょっとでも雨が降ったら水没してしまうのではないでしょうか。雨の多い季節にはこのルートを計画するのは控えたほうがよさそうです。
きっと夏には子供たちがここで水遊びをして楽しむのでしょう。
ドレミファ橋を渡ると案内板が出て来ます。ここが吾妻峡なのでこれからは「八耳堂(はちじどう)」を目指して進みます。
川沿いの歩道から車道に出るとまた案内板があります。ここを左へ進みます。
道なりに進んでいるとまた大きな車道と合流します。その向かい側は八耳堂です。
八耳堂は聖徳太子を祀る真言宗の仏堂で、創建は12世紀はじめとされていますが、現在の建物は1802年に再建されたものです。
八耳堂の仏堂の横には大きな宝篋印塔や石仏が並べられていますが、これらは飯能市の有形文化財に指定されている貴重なもののようです。
この仏堂は、再建されてから230年ほど経っているとは思えないくらいしっかりしています。
龍崖山の山頂に到着!
八耳堂から龍崖山の山頂までも案内板がしっかりとあるので迷うことなく歩くことができます。所要時間は、八耳堂から20分ほどと誰でも簡単に登れる山です。山頂は樹木が生えていますが、それほど多くないので素晴らしい展望を楽しむことができます。
下の写真は、関八州見晴台、越上山(おがみやま)、顔振峠方向の展望です。中央の山の稜線を削って造成されたところが、飯能の横手の住宅街です。
山頂には竹筒で作られた山座同定用のアイデアグッズが設置されています。竹筒を覗くと書かれた山が見えて、すぐに特定できます。左から「武甲山」、「天覚山」、「顔振峠」そして「越上山」です。
一番右の「越上山」を覗いてみました。コブが二つあるのが越上山(おがみやま)です。
山頂からは先ほど登ってきた多峯主山もまじかに眺めることができます。その奥には日和田山や物見山も見えます。
さて、龍崖山での展望を楽しんだら、龍崖山公園を経由してあさひ山展望公園へ立ち寄りましょう。ここは美杉台という大きな住宅街の横にある小高い公園ですが、見晴らしは下手な低山よりも素晴らしいと評判です。
龍崖山公園までは1.2kmです。多少のアップダウンはありますが、見晴台テラスや燧山展望台など見晴らしの良い場所もまだまだあります。
龍崖山の山頂からちょっと下ったところに見晴台テラスがあります。ここは龍崖山の山頂からはちょっと見づらかった南の山並みを一望することができます。
また右には飯能くすの樹カントリー倶楽部(ゴルフ場)の横にある柏木山の全景を確認することもできます。
燧山展望台を過ぎたあとは森の中を道なりに歩きます。そしてしばらく歩くと龍崖山公園の中にある登山口に到着します(下の写真)。龍崖山公園は斜面を造成して作られた公園で右がずっと斜面になっています。
公園の正面入り口や公衆トイレそして駐車場はすべてその斜面の最上部にあります。あさひ山展望公園へはこの斜面を登らずにまっすぐ進みます。すると左側にさらに下る階段が見えてきます。
ここがさらに下る階段の入口です。この階段を下り道なりに進むと車道に出るので、右へ進みます。
300mほど車道の坂道を登っていくと住宅のはずれに階段が見えてきます。
この階段を上がり住宅街の横を真っすぐに300mほど進んだ先があさひ山展望公園です。
公園は360度の展望が広がります。公園の中心は円になっており、山座同定ができるよう主要な山の名前やスカイツリーなどの方角が表記されています。
冬の空気が乾燥した頃であればスカイツリーや東京の高層ビル群もよく見えるはずです。
あさひ山展望公園から飯能河原へ
さて、次は飯能河原を目指します。飯能美杉台中学校方面へ一番長い階段を下っていきます。階段を下り切り車道に出たら左へ進み住宅街の中を800mほど歩き、美杉台公園へ行きます。
ここが美杉台公園の入口です。今回は左の階段をあがらずに公園内の舗装された道を歩くことにします。そのためここは直進します。
道は歩行者専用の舗装道でずっと下りです。
公園を一番下まで下りきると車道と合流し、正面に白い建物が見えてきます。この建物は屋根に十字架があるので教会のようです。この道を左進みます。
美杉台公園の出口から140mほど車道を歩くと右へ進む細い道があります。この道を真っすぐに進むと森の中が入っていき、すぐに小さな橋を渡ります。
橋を渡った先にはフェンスがあり、その先はまた住宅街のようになっています。
フェンスには「飯能河原、坂を下る」という案内板がかかっています。
右を見るとコンクリートで舗装された下り坂があります。ここを下り赤い橋の下をくぐったところが飯能河原です。
飯能河原はとても広く、川遊びやバーベキューなど家族連れで過ごすには最適な場所です。また川沿いには桜並木もあり、飯能春まつりの会場にもなっています。
川の対岸に行くには木製の板の上を歩いて渡ります。
川沿いに植えられている桜並木の下が遊歩道になっていて散策できるようになっています。
木製の橋を渡り川の対岸へ行ったら、舗装道路に出て左へ進みます。180mほど舗装道路を進むと案内板が見えてきます。
「天覧山・郷土館」方面へ進むと飯能市民会館、中央公園の駐車場へ戻ります。「郷土館」というのは飯能市立博物館のことで以前は飯能市郷土館という呼称でした。
案内板に従って坂道をあがっていくと飯能市街と名栗湖(有馬ダム)方面を結ぶ車道に出ます。その道を渡って坂道を登ると右側に飯能市立博物館があります。
ここが飯能市立博物館で2018年4月1日に「飯能市郷土館」から「飯能市立博物館」に名前を変えてリニューアルオープンしました。コンパクトな博物館ですが、無料なので時間があれば飯能の歴史について学んでみるのもよいのではないでしょうか。
この登山ルートについて
天覧山、多峯主山そして龍崖山の三山をぐるっと一周する周回コースですが、いづれの山も標高300m足らずという低山なので誰でも無理なく歩き切れる初心者コースでしょう。
車道を歩くところが、「多峯主山から龍崖山」、「龍崖山公園からあさひ山展望公園」、「あさひ山展望公園から美杉台公園」、「美杉台公園から飯能河原」そして「飯能河原から駐車場」と5ケ所もありますが、交通量の多い道というのは殆どありません。
ただ閑静な住宅街を歩きますので大声でおしゃべりをしたりするのは控えたほうがよいでしょう。山頂からの展望はどの山も素晴らしいのですが、お勧めの季節はやはり冬です。空気が乾燥しよく晴れた日は、遠く群馬県や栃木県の山まで見通せますので本当にお勧めです。